「サラリーマンは金太郎飴」会社に一生しがみつく量産型勤め人は脳死状態

チャンネーから浮気を疑われ深夜に「許して欲しければ今すぐバーに来い」と脅されてノコノコ出ていくと、6,7人の男女グループが待ち構えており、最終的に台湾人の若者たちからタダ酒をいただきまくる自称経営者の豪商(@clubtropixxx1)です。

私が海外生活を始める前。東京でナンパやアポ(デート)をしまくっていた頃に「量産型女子」という概念に辿り着きました。

なぜ日本で量産型女性が生産されるか国際ナンパ社会学者が考えた

2015年10月31日
私が提唱する「量産型女子」というのは、1つの考え方です。ホワイトカラーのアラサー女性たちの画一的で、結婚して家庭に入るという価値観に対する思考停止状態をなぞらえたものでした。

ナンパ師クラトロ、パスタクラスタの論争に巻き込まれパスタマンになる事案発生w
Twitterで量産型女子について呟いたら炎上して、闇の中から「パスタマン」が誕生したことも記憶に新しい。

現在も、その考えに変わりはありません。しかし最近「勤め人(男性)の多くも量産型である」ということを実感する機会がありました。

目次

勤めに人の友人たちにはメッセージ性がない

先日、高校の同級生たち(♂)と新年会をしました。同じ部活の6,7人の仲間です。彼らには申し訳ないけど、会話の中で彼らのメッセージ性を全く感じられませんでした。もちろん、他愛もない昔話というのは楽しいものですし、旧友としかできない会話です。

しかし、彼らからは物事にまつわる自身の考え方や意見、行動指針が明確ではないと感じました。

「俺はこう思う」という一家言がないというか、主体性に欠ける印象です。主体的な意見がなく言葉にパッションが宿っていないので、話していて身になるとか、刺激を受けるという類のものはありませんでした。

それこそ豪商界隈や海外で出会った友人・知人のほうがエッジが効いていてメッセージ性があります。

彼らの話に賛同できるかどうかは別として、彼らには熱量があり、主体的な意見があります。そういった会話には学びや刺激を受けることが多いです。

くだりの同級生たちとは進学校と呼ばれる高校を卒業し、彼らは一流大学を出て、一流企業で働いています。地頭が悪いとも思いません。高校時代を振り返ると、仲間うちで私が断トツで成績が悪く不真面目で、間違いなく彼らより意識の低い学生でした。

しかし10年以上が経ち、勤め人になった現在の彼らと話をしていると、意識の差は逆転したなと思いました。プロ1年目のキャンプでパチンコ打ちながらタバコスパーしてたダルビッシュが、今やトレーニングや栄養学などを極め、球導者のようになっているのと同じです(エヘ)

なぜなら勤め人の彼らから成長意欲や上昇志向を感じられなかったからです。思考が止まっているように見えました。

勤め人の世界観では、特に用もないのに謎に海外を転々としている私のほうが、社会的に見て意識が低いと感じるかもしれません。我々のベクトルは全然違うわけです。では、なぜ勤め人たちに対して量産型だと思うのか書いてみようと思います。

社内という激流で主体性を失う量産型勤め人

勤め人というのは、多くの制約の中で生きています。しかし、彼らは制約と引き換えに保証された生活を送っています。

制約には、ハードとソフトの2つの側面があります。その制約が彼らの思考を止めてしまい、彼らからメッセージ性を奪ってしまうわけです。

順に見ていきましょう。

まずはハード面。勤め人の思考が止まる原因は、企業内において彼らは思考する必要がないからです。この豪商がITスタートアップ企業の新卒だった時の話です。

豪商「就活?俺はナンパブログで知った就職先をあみだくじとジャンケンで決めたぞ」

2017年3月22日
新規事業部に配属され、意気揚々と様々なアイディアを上層部に提案していきました。

しかし、彼らの返答は「うちの事業ドメインじゃない」とか「そういうフェーズじゃない」などあまりにも寒い返答ばかりでした。

ITスタートアップ企業。それも新規事業とかいうベンチャーど真ん中に志願してきた鼻息荒い豪商をガッカリさせるには、十分なものでした。AやBのほうが絶対儲かるとわかりながら、結局Cをやらされます。

私も子供ではないので、自分なりに妥協したうえで提案しても通らないことばかりで「そんなに制約が多いなら起業して自分で金儲けしよ☆」となるのは、必然の流れでした。

スタートアップ企業でも、こんな体たらくなのですから、トップダウンの大企業は、なおさらでしょう。

企業に必要なのは、率先してアイディアを出して自発的に動いてく人間よりも、使い勝手のいい兵隊や聞き分けのいいロボットなのです。

むしろ、あまり強いメッセージ性を持っているほうが組織内では危険分子と判断されかねません。

そして私のような鼻息荒い若手も折られる体験を繰り返して、角が取れていくのでしょう。まるで川上から流れてきた小石の角が取れて、丸みを帯びるように。

置きに行くコミュニケーションが染みついた量産型勤め人

次にソフト面。勤め人は、お世辞や建前の世界で生きています。それは、この資本主義下における合理的なビジネス社会では、仕方のないことです。皆が本音をぶつけあっていたら成立するものも成立しません。

しかし、お世辞や建前の世界の弊害は、本音が上手くぶつけられなくなることです。

勤め人は社内外問わず、本音を上手くぶつけられません。自身の感情に素直にアクセスして、それを他人に伝えるというコミュニケーションができなくなります。

一言で言えば、自分に嘘をつくのが上手くなるのです。

本音をぶつけない「置きに行くコミュニケーション」に慣れてしまうと、うわべっぽくなってしまいコミュニケーションが下手になります。

くだりの同級生たちも、旧友としての関係性ならもっとブッこんでいい場面でも変に気を遣いあったりしていました。普段「余計なこと言わんとこ」という世界にいる人たちなんだと強く実感しましたし、彼らにはそれが染みついていました。

勤め人を卒業し今では豪商になった悪友も同様のことを言っていました。勤め人時代にアラフォーの山下課長がフィリピン人と結婚したそうです。悪友はそれを素晴らしいコンテンツだと思い、飲み会の席で山下課長にフィリピン人との出会いなどを深く掘ったらしいのですが、同僚たちはノータッチだったそうです。

仮に山下課長から「行きつけの竹ノ塚のフィリピンパブで出会ったんだよーガハハ」と返されたら反応に困ると思い「変な感じになったら嫌だから余計なこと言わんとこ」と勤め人が思うのは不思議ではありません。これは「置きに行くコミュニケーション」の一例です。

「置きに行くコミュニケーション」でうわべのやり取りを続けていると、さらには他人に対する興味を失います。

なぜなら安全圏での軽い交流からは、話相手の素晴らしいコンテンツがなかなか引き出せないからです。

置きに行くコミュニケーションの悪循環
本音をぶつけられない→置きに行くコミュニケーションをする→コミュニケーションが下手になっていく→浅いやり取りに終始してしまう→話相手から良いコンテンツがでてこない→退屈な会話→他人への興味を失う
「置きに行くコミュニケーション」にどれだけ弊害があるか、おわかりいただけたでしょうか。勤め人は、組織内での制約によって思考が停止します。

彼らの多くは会社に一生食わせてもらおうと思っているわけです。そう思うのであれば、周りと無難なコミュニケーションをしていたほうが楽なのです。

そして勤め人特有の「置きに行くコミュニケーション」が染みつくことで、コミュニケーションが下手になり、相手に興味も持ちにくくなります。これも一種の思考停止状態です。

この勤め人としてのハード面とソフト面の制約から、まるで金太郎飴のような量産型の勤め人が生産されていくと考えました。

パラサイト願望の思考停止が脳死状態の量産型を生む

量産型女性の1番の原因は、結婚して家庭に入るという価値観。量産型勤め人の1番の原因は、会社に一生食わせてもらおうという価値観。

どちらも根本は、パラサイト願望から来る思考停止状態です。
https://twitter.com/clubtropixxx1/status/953630625268776961
思考を止めてはいけません。人間、思考止めると、ろくなことがありません。そして何より成長しません。

幸い、私は豪商ライフを送るうえで常に思考しています。自身でビジネスをしている私の場合、思考が止まったら稼げなくなる時がくるからです。些細なことでも考える癖がついています。浮気を疑ってるチャンネーにどう言い訳してやろうか、とか。

そして2018年の私の目標の1つである、「より本音で相手にぶつかる」を実践していこうと思います。
https://twitter.com/clubtropixxx1/status/949229852778835968
https://twitter.com/clubtropixxx1/status/949231661941637121
お世辞や相手に迎合するだけの置いていくコミュニケーションは簡単です。しかし(出来る限り)本音で相手にぶつかっていくことは簡単ではありません。伝え方を失敗すれば、変な空気になったり遺恨が残ったりするかもしれません。

しかし、そこに挑戦しない限りはコミュニケーションはうまくなりません。私が普段一緒にいる台湾人たちは「置きに行くコミュニケーション」をしないため、逆に自分が浅はかだと感じたことも少なくありません。

ナンパや女遊びを10年以上やってきた私のコミュニケーションにもまだまだ改善の余地があるようです。

冒頭の「サラリーマンは金太郎飴」というのは、40年ほど勤め上げた父の言葉です。

多くの勤め人は安定と引き換えに大事な何かを失っていると思いませんか?それが量産型勤め人の実態です。

私はパラサイトできる拠り所がありませんから、常に何かを掴み取るために今後も豪商として、1人の人間として貪欲に成長していきます。

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